元号が変わった認識(認知症ver)
高齢者の中には、大正、昭和、平成と3つの生きてきた人も多いでしょう。今でこそ少なくなりましたが、一昔前は明治生まれの方もまだ多くいました。さて、認知症の方が元号が変わるという事を認識出来ているのか、今日はそんなお話です。
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施設で勤務されている方々は、昨日出勤して利用者の皆さんと「今日から元号が令和になりましたね」というお話をされたのではないでしょうか。
もちろん、認知症の方々にそれらのお話は少し難しく感じます。私達にとっては年号が変わる事は一つの時代が終わり、新しい時代が始まる心機一転の様な気持ちになるものですが、認知症の方にとっては新しい事を覚えられません、それが年号であっても同じです。
元号が変わるという認識は説明さえすれば可能です。しかし、新しい年号が「令和」であるという認識は極めて難しいでしょう。その場限りでは納得しても、すぐに忘れてしまう事になります。
認知症の度合いにもよりますが、年号が変わるという事は、言ってしまえば生きていくためにはそれ程重要ではない事ですから、覚える必要すらないわけです。まだ「朝ごはんはすでに食べた」事を覚えていたほうがメリットとしては上ではないでしょうか。
そんな事より、自分が子供の時には戦争で大変だった。食べ物の好き嫌いなんか言っている場合ではなかった。しかし、当時芋は食べすぎて逆に嫌いになった...etc
高齢者が魚好きとか幻想でしか無い。高齢者はお肉大好き。
— Aorin (@kendyvista) 2019年4月21日
今の瞬間を生きている認知症の皆さんにとっては、年号の認識すら対した事ではなく、ただ1日1日が流れているに過ぎないのです。
最近はテレビで平成天皇が映っている事が多く『何か特別な事があるのか?』という雰囲気はもしかしたら感じているかもしれません。
しかし、そんな認知症の皆さんの生活を見ていると、細かい事をいちいち気にしている自分が愚かに思えます。もっと大らかに、細かい事を気にする事無く生きて行けたらいいなぁと思います。
認知症は非常にやっかりな病気ではありますが、元号が変わったくらいでは全く動じず、余裕を感じました。それは私達人間が生きていく為に本当は何が必要なのか、改めて考えさせられるきっかけになりました。
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