「おとな」の階段を登るとは
今週のお題「おとな」
はてなのお題が更新されていたので答えてみようと思ったのですが、お題が「おとな」て……あまりにも漠然としていて非常に難しいじゃないですか。それでなくても精神年齢が10歳でとまっている私に「おとな」を語る資格などあるのでしょうか。逆に「こども」ってお題の方が親近感があって答えやすいのですが。
スポンサードリンク
おとなとは
どうやら1月12日(月)が成人式との事でこのお題が設定された模様。いやぁ、成人式とは…少々懐かしい響きですね。成人式に出席した日の事を昨日の事の様に思い出す事が出来ます。
そういえば私が出席した成人式当日の会場では、喫煙所がやたら多くの人で賑わっており、会場のすぐ隣では袴姿のヤンチャボーイが鏡割りを遂行していました。
やっぱり、子どもからすれば、大人といえば喫煙、飲酒。この印象が非常に強い。この2大巨塔を制してこそ、大人に仲間入りした実感が湧くのです。中学生や高校生が背伸びしてそれをするのもわからなくもありません。*1
しかし、20歳を超えるとすぐに気が付きます。そういう事じゃないと(^_^;)
私は子どもの頃から『経済的に自立』する事が大人であると思っていました。でも、いざ就職し働くようになり経済的に自立しても、全く自分が大人になった実感が沸かず不思議でした。
ここでちょっと「おとな」の定義をWikipediaで調べてみますね。
- 大人(おとな) - 成年した人、もしくは精神的に成熟した、理性のある自立した人を指す言葉。
なるほど…『精神的に成熟した』ですか…。どうりで精神年齢10歳の私がいつまでたっても大人になった実感が沸かないわけです。もう30歳を越えて数年経ち、身体は徐々に衰えていっているのに関わらず、精神年齢だけは10代のままです。
この歳になるまで、人並みに色々な事を経験してきたとは思っています。ですが、精神年齢が10歳から11歳になる事はありませんでした。その経験から言えることは「精神年齢だけは基本的に年をとらない」つまり不老不死である事が発覚しました。*2
『基本的』としたのは、今後変わる可能性がある事に期待を込めているからです。今までの考え方を覆すような出来事に出会い、いつかほんとうの意味での「おとな」になれる日が来るのかもしれない。おとなの階段を登る日が来るのかもしれない。またはおとなの階段を下る日が来るかもしれない(^_^;)
ん?そういえば男はいくつになっても少年の心を忘れずべからずみたいな格言がどこかにありませんでしたか??世間様に迷惑をかけない程度に、少年の心も忘れずにいたいと思う今日この頃です。
おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書 431) 新品価格 |
スポンサードリンク