コミュニケーション障害は人生を損する。(前編)
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私は幼稚園の頃からいわゆる人見知りをやっています。加えて、自分の意見を言えない、言わない。学校の授業中「分かる人手を上げて」と言われても挙げない。年度末の通知票の先生からのコメント欄には「もっと積極的になりましょう。」と同じ文言を小中高と12年間毎年書かれ続けました。
思えば子どもの頃は、人と関わる事が恥ずかしいと感じていました。しかし、今では人と関わる事は煩わしいという感情へと変化しています。恥ずかしい事はもちろんですが、恥ずかしい事をやらなければならないなんて面倒だそんな事は煩わしいという感情の流れです。
こんな私ですから、友達も多くありません。自分の感情を相手に伝える事が苦手ですし、何よりも仲良くなるには自分をさらけ出す必要があります。これが中々出来ません。自分から壁を作ってしまい、殻に閉じこもってしまうのです。
結局は「こう言って相手に嫌われてしまったらどうしよう。」「面倒な雰囲気になったらどうしよう。」という不安感がそうさせています。そんな風に思うなら、何も言わない、何もしない事が無難だと考えてしまうわけです。
外を歩く時も、基本的に地面を見ながら歩いています。つまり人の顔を見ないようにして歩いているのです。誰とも関わりたくないのです。
こうやって書き出していくと随分寂しい男ですね。
こんな私が言うのも何ですが、コミュニケーション障害なんてものは人生を損しているとしか思えません。結論から言って、人間は1人で生きていく事など不可能なのですから。生きていく上で絶対に人との関わりは必要なのです。山の中で隠居していたとしても、完全な自給自足は不可能です。誰かとの関わりを断つ事のデメリットは計り知れません。
あ、今『わかっているなら、なんであんたはコミュ障を治さないのか?』と皆さんに言われた気がしました。当然そう思いますよね。正直治したいけど治りません。努力不足と言われればそれまでですし、それ程努力もしていないのが現状です。
植木等師匠の有名な格言を使わせていただきます。
『わかっちゃいるけどやめられない』
というわけです。
長年かけて構築されてきた性格が、パッと変わる事は出来ません。
悪い意味でありのまま生きてきましたから、実はちょうど今不具合を起こしている状態なのです。
本題は次回へ...
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