阪神淡路大震災から20年。あの時私は13歳だった。
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このブログでは出来るだけ自分の素性を晒さないようにしてきましたが、この話題を語る上ではある程度の身バレも覚悟しなければと思っています。
さて、神戸という土地では度々震災当時の出来事が世間話に登場します。神戸市民にとって阪神淡路大震災は過去の遺産ではなく、今も変わらず皆の心の中で生き続けているのです。
「テレビが飛んできた。」
「縦揺れが凄かった。」
「10分くらい揺れていた気がする。」
「ガスが1ヶ月止まった。」
「がんばろう神戸をキャッチフレーズにオリックスブルーウェーブが優勝した。」
等、未曾有の大災害の記憶は20年の時を感じさせない程、市民の心に深く刻まれています。
当時の私は、中学1年生の13歳。震災の前日まで連休だった為、宿題がたくさん出ていました。にも関わらず全くやっていませんでした...
ダメ元で「朝早起きしてやろう」と心に決めて、前日の夜は目覚ましを5時にセットして就寝しました。まぁ起きれるわけないです。
当日は躊躇せず目覚ましのアラームを消しました。起きなければならないという事実と向き合う事を辞めて布団の中でウトウトしていました。
そこであの揺れに遭遇したのです。ウトウトしていると、遠くから工事現場のドリル作業の様な『ドドドド』という地響きが聞こえてきました。「朝から工事か?」と不思議に思いましたが、眠たい方が勝っており布団に包まっていました。
地響きの音は次第に爆音になり『ドドドド‼︎‼︎』と私の耳元まで近づいてきました。すると同時に部屋中の物が辺りを飛び交うような激しい縦揺れを感じたのです。
さすがに飛び起きた私は恐怖で何をしたら良いのか考える事が出来ませんでした。気付いた時には母が持ってきた毛布を頭から被り2人で小さくなり包まっていたのです(はて?あの時父は何をしていたのでしょう。全く記憶にありません)。
我が家の家自体の実損被害はそれ程多くはありませんでした(診断の結果は半壊でしたが)、しかし、風呂にしばらく入れなかったり、水道がしばらく使えなかったり、食料不足がしばらく続いたり、といったライフライン的ものには不便を強いられました。
これらの体験がトラウマとなり未だに、少しの地震であっても敏感に反応してしまいます。「この揺れが収まらずにどんどん大きくなるかもしれない」という想像が頭をよぎるのです。
自然災害を完全に防ぐ事は不可能です。ですから被害が拡大しない様、今後は地震が来た時にはどこに逃げるか等、常に災害を想定した生活送れるように心がけたいものです。
阪神淡路大震災から20年経過した事は一つの区切りではありますが、だからと言って決して震災が風化しているわけではありません。私達の心には未だに消える事の無い大きな傷跡が残っているのです。
そんな私達に出来る事、それはベタではありますが、この経験を後世に語り継いでいく事だと思います。そしてその経験を次の地震災害等に活かす事が出来る事を切に望みます。
今週のお題「今だから言えること」
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